民主主義 多数決 限界

July 28, 2020

」と軽んずるような表現には疑問を持ちました。およそ王道からかけ離れてしまった人生を歩んでいる私。さまざまな切り口で日々の気付き、日本の将来までを書いてみます。日々のビジネスで成果が上がらないときには、違った視点で見つめ直してみましょう。このブログは、そのためのお手伝いを致します。なぜなら、政治の世界では「多数決=世論」は「カリスマ的な指導者(典型はヒットラー)」やマスコミ等に誘導されやすく、その多数決の結果が問題の本質から外れた結論となってしまう事が歴史的にも多くあると考えるからです。もちろん、だからと言って「民主主義」の国家において、多数決を無視する事は出来ません。いわばこれは「民主主義は万能では無いという事の証拠である」、あるいは「民主主義の限界である」とでも言えば良いのでしょうか。 すなわち「民主主義=多数決」ではないのです。 しかし、それなのにこれだけ多くの民主主義国家が多数決を採用し、そして多くの人が「民主主義=多数決」と誤解してしまうのはなぜでしょうか。 もちろん、だからと言って「民主主義」の国家において、多数決を無視する事は出来ません。いわばこれは「民主主義は万能では無いという事の証拠である」、あるいは「民主主義の限界である」とでも言えば良いのでしょうか。 数の論理で多数決で物事を決めていくのが民主主義なら、正しい手順で少数派が数を増やしていく事が出来るのも民主主義 なのだ。 一見矛盾している様にも見えるが、実はそれすなわち、 少数派を抹殺している訳ではないのが民主主義 だと言う事でもある。 民主主義、そして多数決における大原則は、みんなに等しい権利があることと、マイノリティの意見も尊重されることです。 勝ったからマイノリティを拉いでいいわけではありませんよね。 これを例えば、投票日の平均余命(それより長生きしている人はなんらかの値)に合わせて各個人の票の重みを持たせて投票すれば平等になるのか、と考えてみると、明らかに生きる経験値とのバランスは取れなくなりますよね。さらに、人によって考え方のばらつき、もっというならその人が生きていく上で考え方が変遷していくことも踏まえて、結局はみんな一票なのだとしかいえないのではないでしょうか。その間違いまくる性能の低い人間たちにとっては、全員に等しく権利を与えて、判断させて、選ばせるというのはとても理にかなっています。そして間違いまくるのですから、定期的にはやり直して、選び直させて、行きつ戻りつさせるのも正しいのです。人によっては冗長に感じられるかもしれませんし、修正するのに時間がかかると思うかもしれませんが、大間違いをしないためにもよい方法です。(そうしててさえ、大きな戦争しちゃったり、独裁しちゃったり、大間違いをすることもある程、人間はダメともいえますが)まず最初の考えたいのは、長期の将来を左右する選挙なのに、年寄りの意見が優先されるのはおかしいと、若者たちが反発していることです。こう考えると、やはりみんなが等しい権利を持つ民主主義はとても危うく感じられますか?プラトンの哲人政治とかちゃんちゃらおかしいというか、理想的過ぎて人間には無理ですwここで効いてくるのはもし年齢層によって意見に偏りがあるのなら、その年齢層ごとの人口で多いところが有利になる、ということだけです。それが今回はイギリスでは年輩者側に有利に働いたということですね。はっきりいって、頭のいい悪いがあるとか判断力の優劣とかいいますけど、その差って、その人それぞれの得意不得意を考え、均してみれば、誤差範囲に収まると思ってます。そして、そのレベルはけっこう全員低い。この認識はとても大事だと思います。どうやら、今はそこにどうしても経済を中心とした社会のスピードを求めたがるわけですが。そしてその求めたがる人は、自分はできると過信するわけですが(そういう人に自分も含めて性能悪いのよ、って納得させるのは大変そう)。これはどうしようもないのか、というと、この点ばかりは政治家側の態度にかかるとしかいえません。単にそんな票の取り方をしてたら、国家経営がダメになると認識してるか、もしくは認識できる人を選ぶしかない、としかいえません。上であげた事柄は年齢層依存の事例ですが、きっと物事によっては性別依存であったり、地方と都市の対立であったり、職種による意見の相違といったものが様々あります。ということで、今回はこういう投票システムや多数決といったものはまずいのかまずくないのかという点を考えてみたいと思います。その意味で私は、簡単に民主主義の限界来ているとか、最近世間では言われがちですけれど、ちゃんと民主主義を機能させているのか、個々人が民主主義としての自分は一人分の権利だけ考えてるのか、といったことを見直した方がいいんじゃないかと思います。 だから民主主義は有権者の高い政治見識が求められるのだ。 プラトンが民主制は衆愚政治の温床、 だと言ったのはそういうことなのだ。 もう一つ、多数決以前に 話し合いの妥結 というのもあるだろう。 私は 民主主義は「妥協の産物」 だと考えている。

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